2018年8月24日金曜日

We Will Rock You

いや~~~~、夏の甲子園面白かったですね。無名の公立高校が優勝するという、映画のようなエンディングを期待し、多くの人が金足農業高校が優勝する事を願ってたのではないでしょうか。

今回で100回目の高校野球。放送を見てて、前々から疑問に思ってた事を一つ思い出しました。それは応援の時に演奏される曲で、多くの応援団がクイーンのウイー・ウィル・ロックユーを演奏してる事です。

演奏してる子供達はQueenの原曲を聴いた事あるのだろうか?

何故ウイー・ウィル・ロックユーなのだろうか?

ウイー・ウィル・ロック・ユーは「今はまだまだだけど、いつかやったるから見てろよ!」という内容で、 僕的にはどっちかというとウィー・アー・ザ・チャンピオンのほうが応援向きのような気がするのです。ウィー・アー・ザ・チャンピオンはバラードなので、テンポを上げてサビの部分を演奏したらいいのでは?と思うのですが、何故ウイー・ウィル・ロック・ユーが応援歌として多くの学校に演奏されてるのか、誰かご存知でしょうか?

あと、どの高校か忘れましたが、Smoke On The  Water を演奏してたのには痺れました!でも、きっと演奏してる生徒さん達は、原曲を聴いて事がなく、譜面で覚えたのだと思うのです。そこから掘り下げてって、ロックが好きになり、バンドなどを始める生徒がいたらいいなと思います。


最後にとても気になってる事を一つ。演奏してる曲はハッキリ解るので、印税の発生です。これはNHKが払ってるのでしょうか?ウイー・ウィル・ロック・ユーが多くの高校の応援歌に成ってるところを見ると、なんらかの契約があるのでしょうか?。

ちなみにレストランやお店などで撮影する際、店内に流れてる音楽は消してもらいます。これは音声さんの都合もありますが、同時に著作権問題もあるからです。

2018年8月14日火曜日

コール

今日テレビで薬師丸ひろ子さんのコンサート2018年を見た。

デビューしたのが僕が中学生の頃なので、知ってる女優さんです。また、当時から自分が主演した映画の主題歌も歌ってて、その不思議な魅力の歌声も認識していました。

番組では薬師丸さんがそれぞれの曲にまつわる思い出などを語る場面もあります。いつもなら途中で飽きてしまい、コンサート番組は最後まで見れない僕ですが、知ってる曲、聴いた事ある曲などあり、珍しく最後まで観れました。

その中で特に印象に残ったのが「コール」という曲です。この曲は薬師丸さんが出演したドラマの主題歌で、当時結婚してた玉置浩二さんが歌った曲との事でした。調べてみたら1993年の曲で、当時僕は東京に住んでいましたがまったく記憶になく、ネットで玉置浩二さんの歌う「コール」を探して聴いてみました。


玉置浩二さんの歌う「コール」もいい。しかし、薬師丸さんの歌う「コール」と比べると、どうしても「テクニック」を感じてしまう。これは決して悪い事ではないし、むしろプロなら当たり前です。もちろん薬師丸さんもボイストレーニングなど受けたりして、プロとしてのテクニックも学んでるはずですが、薬師丸さんの歌う「コール」は計算されたようなタメなどはなく、むしろ突っ込み気味で、その歌声は、優しいお母さんの声のように胸に届いた。ただただ一生懸命心を込めて歌ってるような感じでといえばいいのでしょうか、、、男性目線ぽい歌詞とあの声のマッチングもいいのかもしれませんが、聴いてるこっちの胸がはち切れそうになりました。



今後も薬師丸さんが女優として、そしてシンガーとして更に活躍される事を願います



2018年8月10日金曜日

13

息子が13歳に成りました。

正確にいえば、13歳と9ヶ月。3ヶ月後には14歳に成ります。

今月から高校にも通い始めました。(アメリカでは小学校が1年生~5年生で、中学が6年生~8年生。高校が9年生~12年生なのです)

今までは寝癖がついたままの髪で外に出たり、着てる服、靴などにもまったく興味がなく、与えられた物を着てたのですが、最近は朝起きたら寝癖を直し、自ら買い物についてきて、自分の欲しい物をチョイス。これまでは買い物に行くのが大嫌いだったので、すさまじい変化です。又、最近、なんとなく会話の内容も変わり、。ティーンエイジャーに成ったんだなと感じています。ついつい、子供扱いしてしまうので、息子の心境を理解しようと、僕が13歳だった時の事を思い出してみました。

僕が13歳の時、親は離婚しました。当時は広島に住んでたのですが、離婚を機に、アメリカ国籍だった僕と親父はアメリカに戻る事に成りました。何処で生活するかも決まってなかったので、当時小学生だった妹(アメリカ国籍)はひとまず日本に残し、僕と親父と二人でアメリカに渡ったのです。

小学校3年生の時にサンフランシスコから広島へ移り、5年間広島に住んでたので、友達も出来、日本の環境にも慣れたところでのアメリカへの移住は決して嬉しい事ではありませんでした。しかも母親と離れ、親父と二人だけの生活。当時も英語は喋れましたが、5年も日本に居たのでどちらかと言うと日本語のほうが得意でした。なので、転入したアメリカの中学校では国語(English )がすごく難しかったのを覚えています。また、移住した南カルフォルニアのオレンジカウンティーは当時(1979年)99%が白人だったので、差別も受けました。

親父と二人で、最低限の家具を揃えたアパートでの生活。テレビもありません。友達は誰もおらず、毎日のように日本の友達にエアメールを書きました。この時期は暗く、寂しい記憶しかありません。当時は、服はおろか、欲しい物を何も買えなかった(買ってもらえなかった)。アメリカへ移住した時、親父も50前で、生活が見えるようになる迄は出来るだけ節約したかったのだと思います。また、洗濯なども自分でやらねばならず、それまでとはまったく違う生活環境に戸惑いながら日々過ごしました。

それに比べればいまの息子の生活は恵まれてると思う。その部分は一安心です。しかし、これから人生をどの方向に歩くのかを決めるのは息子本人。まだ見ぬ到達点に向かって歩き始めた息子を見守りながら、いいタイミングでアドバイスなり、助け船を出せればと思います。





2018年8月7日火曜日

エアコン逝く

先日、嫁の車のエアコンが壊れたので、今日ショップに持って行きました。

メカニックに見てもらったところ、コンプレッサーのクラッチ・コイルが壊れてて、要交換との事。しかし、コイルだけでは販売しておらず、コンプレッサーを丸ごと変えなければいけないそうで、修理代は$1000。

痛い出費ですが、夏真っ盛りだし、ハワイでは基本一年中使うので、修理に出す事にしました~。



日本は依然暑い日が続いてるようですね。皆さん水分補給を忘れずに!

2018年8月5日日曜日

First Local Job

美術として初めて参加したハワイ企業(電話会社)のコマーシャルが公開されましたので、シェアします。ホノルルの高級住宅街にある家で撮影しました。